テッサが父さんのいる執務室に入り、用事を終えて退出した頃を見計らい、僕は自室を出て無駄に長い廊下を歩いていく。
アルスター家と我が家であるアイザック家とは、実のところそんなに交流が無い。ドラバニア王国国内で行われるイベントなどで顔を合わせたら話す程度の仲だと父さんからは聞いたことが有る。
しかもこちらは伯爵家相当だとしても、向こうは紛れもない伯爵家であるのだ。向こうから何かお願いという名の命令が来ることは有っても、こちらからお願いできる立場にはない。
それが今回一番厄介な所。
――いったい何の用なんだろ?
廊下をとぼとぼと歩きながら大きなため息をついた。
因みにドラバニア王国の爵位は最上位に公爵位があり、この爵位を叙爵出来るのは、王家の血縁の方々だけと決まっている。その下に侯爵、辺境伯、伯爵があり、そのまた下に我がアイザック家の子爵位、その下の男爵、騎士爵と続く。
実はこの下にも準騎士爵というのも有るのだけれど、この準騎士爵位は長年軍などで貢献した、それまで貴族としては爵位を持たなかった者が名誉職として叙爵される事が慣例となっている事が多く、その他にも商家として大きな貢献が認められた時など、平民とされている人たちへも贈られることが有るのが特徴だ。
ただし、名誉職と同じ扱いなので、正式な貴族というわけではない。なので、はき違えた人たちが今までも数多く罰せられてきたという歴史もある。
そしてもう一つ。この準騎士爵から騎士爵へ上がれるかというと、現状では『無理』だと言われている。
そもそも貴族と平民とでは、視えない差が大きく開いているのだ。
と、まぁそんな爵位の差から、今回訪問の予約という名の命令の難しさを実感したところで、父さんがいる執務室の前へとたどり着いた。
ドアをノックする前にもう一つ大きなため息を吐く。
コンコンコン
「ロイドです。入っても良いですか?」
「入れ!!」
「お仕事中に失礼します」
父さんの返事を聞いてから、静かにドアを開け、一礼して声を掛けた。
「そんなにかしこまらなくていい。こっちに来て座りなさい」
「はい」
言われるままに移動すると、それまで自分の執務机の前で書類を眺めていた父さんも、その書類を手にしたまま僕と同じように移動して、来客用のソファーの上に座る。
父さんが座ってから、僕も父さんと対面になる様にしてソファーに腰を下ろした。
「聞いたか?」
「え? まぁ……」
そう言うと、手に持ったままの書類にもう一度目を通し始める父さん。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
タイミングを見計らっていたかのように、フレックがお茶の入ったティーポットとカップを二つ持って執務室の外側から声を掛けて来た。
「フレック入ってくれ」
「失礼します」
音もたてずにスッと入ってくるフレック。しかしお茶の用意もしっかりと手にしている。
そのまま静かにカップを二人分テーブルに置き、お茶を注いでいく。注ぎ終わるまでがとても優雅で見惚れてしまうくらいだ。
そして一礼してそのまま部屋から出て行こうとする。
「あ、フレックちょっと待ってくれ」
「何か御用でしょうか?」
「お前にも話を聞いていて欲しいんだ」
「私にもですか?」
いきなりの事でびっくりしているフレック。
「そうだ。これは執事のフレックではなく、友達のフレックとして頼んでる」
ニコッと笑いながらフレックに話しかける父さん。そんな父さんを見てため息を一つ吐くフレック。しかしそのままドアの前から静かに戻ってきた。
「わかった」
「すまん。俺だけじゃどうしたらいいか分からんのだ」
「まぁ、そうだろうな」
「とりあえず座ってくれ。友達が立ったままだと話しづらいからな」
返事をせずに、そのまま空いている一人掛け用のソファーへと腰を下ろすフレック。
「まずはこれを読んでみてくれ」
「俺が読んでも良いのか?」
「心配するな。俺が許可するんだから」
「わかった」
先ほどまで手にしていた書類をフレックへと手渡す父さん。
――あれ? 僕って必要なのかな?
この二人のやり取りを見ていると、僕がここにいて良い物なのかと考えてしまう。
「はぁ~……。なるほどな」
「どうだろうか?」
「悪い話じゃないと思うが……」
「そうなんだ。悪い話じゃないんだが、何が狙いなのかが全く分からんのだ」
「確かにな。アイザック家は一応派閥争いには加わらないと、代々の王族の方々が認めていらっしゃったからな。現国王陛下もその辺は慣例的に認めていらっしゃる」
「つまり、どこにも属していないウチと手を結ぶメリットが無い」
「まぁそうなるな……」
そんな会話が二人でされるのだが、僕はたぶん当事者なはずなのに、先ほどから会話の蚊帳の外に置かれている。
「あのぉ~……」
「うん?」
二人でうんうんと唸っているのをただ見ているわけにもいかず、遠慮気味にではあるが声を掛けてみる。
「どうしたロイド」
「えぇ~っと、その……話の内容的には僕に関係ある事なんだよね?」
「そうだな」
「僕の話は聞かなくてもいいの?」
父さんが眉間にしわを寄せつつ返事を返す。
「確かにそうだな……。本人に聞いてみるのが一番早いかもしれん」
「確かにな。それにまだ7歳だ。そういう類の争いでは無いと願いたいものだが」
父さんとフレックがお互いに頷きあう。
「ロイド」
「なに?」
「お前に婚約者が出来るかもしれん」
「へぇ……。へぇ!? こ、婚約者!?」
「そうだ」
面会の予約をしたいと、アルスター家の使者が家に来た時。まずは騙されているのではないかと疑ったらしい。
まぁそれもそのはずで、今まで繋がりらしい繋がりが無かったのだから当たり前の話。しかし、その使者が持ってきた1通の封書が、その話が本当の事だという事を裏付けた。今目の前でフレックや父さんが読んでいたのがその封書の中に入っていた手紙だそうで、その封書にはしっかりとアルスター家の紋章が封蝋に押してあり、手紙の最後にもしっかりと当主の名と夫人の名前が連名で入っており、そこにも紋章がしっかりと押してあった。
紛れもなく本当にアルスター家から送られてきたものである。
それだけでも驚きだというのに、その手紙を読んで更に驚くことになった。初めは母であるリリアに話をしたのだが、母さんは「本人に聞いてみたら?」というだけで、対応は父さんに任せたらしい。
つまり、執務室に入った時に、父さんが手にしていた書類こそが、悩みの種になっているアルスター家からの手紙だったという事。
だから、テッサから僕にその事を知らせて、話してみることにしたのはいいけど、実際には自分でもどうしたらいいのか分からないから、フレックにも話を聞いて欲しかったと父さんは言った。
「それで、その手紙には何が書いてあったの?」
「ん? あぁそうだな」
それまでフレックが持っていた手紙を、一度父さんが受け取って、更に僕の方へと手渡される。
そこに書かれているのを簡単に説明すると――。
『ウチの娘が丁度アイザック家の息子と同じ歳みたいだ。どうだろうか? 一度二人を会わせてみないかね? 別に特別な意図など無いよ。ロイド君だったよね? 君の所の息子の名前は。将来の婚約者――としてとは言わないけど、どう?』
――みたいな感じ。
僕が読んでも難しい事が書かれているだけなので、貴族的な本当の意味は分からないけど、書かれていたことに関して言うと、僕が思うのはそういう事。
「父さん」
「ん?」
「この手紙に書かれてる娘ってどんな子なの?」
「たしか……」
僕からの質問に、天井の方を向きながら両腕を組みつつ思い出そうとする父さん。
「こ、これは……ここまでとは」「まぁまぁ……」「うらやま……」 僕がもみくちゃにされている時にアルスター家の人達は、僕の方を驚いた表情で見ていた。父さんと母さんそしてフレックは既に僕を助け出すために動物を追い払い始めている。「アス……ティ、たすけ……て」「はッ!? じゃなかった!! ロイド様大丈夫でしょうか!! 今このアスティが助けに参ります!!」 僕がアスティへ助けを求めると、ようやく我に返ったアスティが僕の方へと駆け寄ってくるけど、父さんと母さんに止められた。 確かに安全を考え、そして何よりアルスター伯爵家のお嬢様に怪我をさせてしまうわけにはいかない。アイザック領内で怪我をさせたとなるといくら婚約者の元にいたからとはいえ、問題視されてもおかしくないのだから。 そういうわけで、僕の救出大作戦はけっこうな時間がかかってしまう事になった。「はい。今日はなでなでおしまい!!」めぇ~!! 僕がその場にいた動物たちの、最後の羊の頭をなでなでし終わり、手を離すと羊は満足そうにどこかへと走り去っていった。「ふぅ~。今日はいつもよりも多かったなぁ~」「ふふふ。お疲れさま」「あ、アスティ」 去って行く羊の後ろ姿を見ていると、僕の横へトコトコと近寄ってきたアスティが声を掛けてくれた。「いつもこうなの?」「そうなんだよ。だいたいのコ達は僕がなでたりして上げると、満足してくれて戻って行ってくれ
「――という事になります」「以上でヨームの使い方の説明は終わる!! 因みに今日はこのヨームで言うところの5月30日だ。明日からは6月となり、明日は6月1日という事で、これから先はヨームの日付で呼ぶようにしていく」 僕が説明を終えると父さんが集まっている人たちにそう宣言した。つまりこの時点からドランの町では正式にヨーム通りの月日の数え方が始まったという事。「質問があるものは手を上げろ!!」 父さんの声に反応して数人から手が上がった。「よし、そこの者!! 申してみよ!!」「は、はい。では失礼いたしましてご質問させていただきます」「うむ。何でも聞いてくれ」「その……噂でではありますが、そのヨームでしたか? それを思いつかれたのがロイド様というのは本当の事なのでしょうか?」 質問してきた人に、僕は見覚えがあったのだけど、そのまま答えないで父さんの方へと視線を送る。「それは間違いない。このアルスター家当主のガルバンが証人だ」「そ、そうなのでございますか」 父さんの代わりにガルバン様が答えた。「そして、このヨームだが、この私もその有用性を実感しているからこそ、アルスター領でも広めていく事を承認しておる。つまり私も認めているという事だ」「そ、そうでございますか。お答えいただきありがとうございます」「いやその位なんでもない。そして今ここで宣言しておく!! ここにいるアイザック家ロイドと、我が娘アスティはこの度正式に婚約者となった。これから先は、私達アルスター家もアイザック家と共に歩んでいく。その事を忘れぬようにな」 ガルバン様の言葉が広場中に広がっていくと、ざわつき始めていた広場に、また静かな時間が訪れた。
「……本当にロイドは……。まぁそれだけじゃない。ロイドの噂話を知っていても、ロイドと婚約を結ぶんだという事を、そしてこれからはアイザック家の……ロイドの後ろ盾には我がアルスター家も付いているのだという事を、世の中に広げるためだな」「僕のために?」「うん? ロイドの為だけではないよ」「そう。ならいいんだ」 僕はこくりと頷く。それからしばらくはちょっとした世間話などをして、町の中へと付くまでの時間を過ごした。 ドランの町には真ん中に町の象徴とする大きな噴水があり、その噴水を中心にして円形に公園のような作りになっていて、その外側から家やお店などが立ち並ぶ作りになっている。 町の中を通る道は、その噴水から東西南北へ縦断する形に伸びていて、どの方向へも行けるようになっていて、町の一番外側にはモンスターと呼ばれる者たちや、魔獣と呼ばれるモノたちから住んでいる人たちを護るために、石でできた高い壁と門に守られている。そんな町の中で一番端にアイザック家の屋敷があるので、途中には林なども有って町としてはかなり広いのだと父さんが言っていた。 でも一番の防御力としては父さんや領兵の人達がいるので、住んでいる人たちもそんなに危ない目にはあった事が無いはず。 僕は久しぶりに町へと向かう道すがらそんな事をぼんやりと考えていた。 町の中の中心地である噴水のある公園に、僕達の乗るアルスター家の馬車が到着した時には、既に多くの人達が公園へと集まっていた。「うわぁ~……いっぱいいるなぁ&he
「え? 何それ、うらや……かわいいじゃない」「そんなにいいものじゃないよ……」 アスティがちょっとだけウキウキしているのを見ながら、思い出す光景にげんなりしてしまう。「おいマクサスどういう事だ?」「あぁ、言ってなかったか? ロイドが町に行くのを止めている理由の一つがそれだ」「動物が近寄る位なら構わんだろ?」「いや……ロイドの場合はな……。町中の動物がロイドの姿を見てしまうと、寄ってきてしまうのさ」「なに? それって……」「あぁ、原因は分からん。だが、それが町の中だけならまだいいんだが、町の外でも同じなのだ」「ではもしかして魔獣やモンスターと呼ばれるモノ達も……と言う事か?」「モンスターはなるべく屋敷に近づく前に俺たちが倒しているから問題は無い。屋敷の敷地の中だけに居るのならな……。だから実際にそういうモノと遭遇したらどうなるかは分からん」 アスティと僕が、集まってくる動物たちの事を話している時に。父さんとガルバン様がそんな会話をしている事には気付いていなかった。「ふむ。確か……王城の資料室で、そのような事が得意としている者達がいたというのを読んだことが有るな」「あぁ俺も読んだ。確か……動物使いとか魔獣使いなどと呼ばれているらしいが、今でもいるには居るが数少ないようだ」「ロイドはそれだと?」「……どうなのだろうな。実際その者達がどうやって飼いならして
ある日の昼の鐘の後――。「ロイド様」「ん? どうしたのフレック」 部屋の中で珍しく一人で本を読んでいると、ドアをノックした後にフレックが顔を出した。「はい。旦那様がお呼びでございます。執務室へ来るようにとのことです。いかがいたしますか?」「そうなの? 何の用か聞いてる?」「いえ、来てから話すとのことです」「わかった。すぐ行くと伝えてくれる?」「かしこまりました」 読んでいた本をパタリと閉じて、僕はドアの方へと向かう。フレックは既に父さんの所へ行ったようでもう姿は無い。――何かあったのかな? 一瞬だけ、何か起こられる事でもしたのかな? と考えたのだけど、僕の記憶にはそのような事をした覚えはない。 考えながら執務室まで進んでいき、結局思いつかないままそのドアを叩いた。「ロイドです」「入れ!!」「失礼します。お呼びとお聞きして参上しました」「うむ、まずは座れ」「はい」 いつになく真面目な顔をした父さんが、既にソファー座りお茶を飲んでいた。その対面に僕も座る。 すぐにぼくの前にもフレックがお茶を用意してくれた。「それで話って?」「あぁ。実はなあのヨームの件でな」「ヨームの?」「そうだ。ガルバンとも話をしていたのだが、すでに屋敷の中のモノたちと、領兵たちの間ではヨームを使用することが広まって、その便利さを理解し始めている」「うん」「それでだ……」「それで? ドランの町でもヨームを使い始めてみないかという話になった」
僕らのやり取りがあった次の日には、既にアルスター家の長期アイザック家滞在が確定事項となって伝達された。 しかも期間は未定と発表されたので、ガルバン様たちと一緒にアイザック領へと来たアルスター家の護衛の人達や、領兵の人達は何組かに分かれて一旦アルスター領へと順番に戻ることになった。 更に期間が決まっていないという事で、いつまでも屋敷の庭先にいるわけにはいかないと、ドランの町とアイザック家の屋敷までの間で、道に沿って林などを切り倒し、簡易的な家を数件造ることに。 そこにアルスター家のガルバン様たち以外が住むことになるのだが、アルスター家の人達が自領に戻った際は、その建物を自由に使っていいという事で話を纏め、ウチではそこを迎賓館として使用することに決定した。。 出来上がるまでは時間がかかるし、それまでは今と変わらず屋敷の庭で過ごしてもらう事にはなるんだけど。 僕とアスティの方はというと、相変わらず朝から勉強をしたり、魔法の使いか他をあれこれ考えたりと忙しい毎日を過ごしていた。 フィリアはアスティだけじゃなく、ガルバン様やメイリン様とも仲良くなって、一緒に遊んでもらう事さえある。 1度、ガルバン様が馬役になってそれにフィリアがまたがっているところを見たときは、僕だけじゃなくアスティも凄く驚いていた。その驚いた理由も「私でさえしてもらった事が無いのに」という、ちょっとだけフィリアを羨ましいと思う気持ちから来てるみたいだけど。「できた!!」「さすがアスティ」 僕は喜ぶアスティへ拍手を送る。滞在期間が既に30日を過